鶴見歯科医師会の会長に就任した 佐藤 信二さん
横浜市歯科医師会の常務理事、神奈川県歯科医師会の青年部、6月に始まった鶴見医師歯科医師会館の建て替え事業では責任者と、さまざまな場面で実務を担ってきた。その中、立候補制の会長選挙に今夏、手を挙げた。「いつかを待つのではなく、動ける会長になりたかった」。市の理事と地区会長との兼任は会史上初めてのこと。実務の先頭にいるからこそ、会長に生かせる。そう感じている。 超音波スケーラー用チップ
生まれも育ちも小野町。歯科医の父の背中を見て育ったが、追う気はなかった。高校時代は文系を選択しようとしたほど。母に「理系を」と頼まれたのが始まり。最初は落ちこぼれだった。一年浪人し、鶴見大学歯学部へ入学後も、歯科医はどこか他人事だった。「スネをかじりまくって遊んだ。だらけた遊び人」。自嘲して笑う。訪れた転機は国家試験。受かった親友に、飲み会で落ちたことをからかわれた。芽生えた反骨心。次の一年間、通った予備校での成績はトップだった。 歯科研磨機
自院の診療、数々の役職に加え、セミナー講師として全国も飛び回る。診療後のランニングや、好きな買い物など、合間も予定はびっしりだ。「暇になると何していいか」と一笑。高1の娘、小5の息子といるのが好きな時間というが、多忙さから限られたひと時。「家族は我慢しているところがあるかもしれない」。言葉の裏に感謝がにじむ。
100年を超える会の歴史。前会長や諸先輩たちの後押しで重責に向かうが、一番はかつて会長だった父の存在。会議のために休診し、家にいなかった父。「子どものころは不思議だった」。自治会など地域にも奉仕し続ける背に、「血筋を感じる」と、各方面で活動する自身と重ねる。会員減少の課題、災害対策など会に対する地域貢献への要請、取り組むべきことは多い。「ともかく動き、考える」。動く時間はスタッフや家族の支えが生む――自院での経験をもとに、「知覚動考」で率先していく。
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